2009/07/14

改正臓器移植法成立に思う

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(中山太郎議員)
 7月13日、改正臓器移植法(衆院案=A案)が参院本会議で可決成立しました。まずは長い間放置されていた臓器移植法の改正に尽力された舛添厚生労働大臣、中山太郎議員を初めとする関係者各位のご苦労をねぎらいたいと思います。お疲れ様でした。そして厚労省はこれからの一年間、法体系の整備が本当に大変だと思いますが頑張ってください。さて、今回のA案では次の3点が大きな改正点となりました。

1: 脳死を一般に人の死と認めた
2: 臓器提供の年齢制限を撤廃した
3: 本人の生前の意思提示を必要としなくなった(もちろん拒否権はあり)

 一般には2、3に関連して、子供の臓器提供が可能になった事が賛否両論含めて注目されていますが、個人的には1の持つインパクトの方がはるかに大きかったです。人の死を法律が明確に定義してしまったのは、近代法治国家となった明治以来初めての驚天動地の出来事なのです。ちなみに最初の臓器移植法では「臓器移植を前提とする場合に限り脳死を人の死とする」との限定的な定義でした。まさにこれがセカンド・インパクトなんでしょうね(苦笑。

 あの頃に比べるとマスコミは随分おとなしくて論調も多分に情緒的な気がします。それに比すれば、生命倫理会議の緊急声明はきわめて論理的にA案に関しての疑義を提起しています。その骨子を記載してみますが、詳細はリンク先をご覧下さい。

生命倫理会議 参議院A案可決・成立に対する緊急声明

1)厳密な脳死判定後にも長期脳死の実例がある、という事実が直視されなかった。
2)ドナーとなる子供への虐待の有無を判別する難しさが認識されなかった。
3)「脳死=人の死」であるとは科学的に立証できていない、という最も重大な事実が省みられなかった。
4) WHOの新指針の内容を十分に確認せずに、事実に基づいた議論がなされなかった。
5)ドナーを増やすことが国民全体への責務に反することにはならないか、熟慮されなかった。
6)移植に代わる医療の存在が患者・国民に周知され、また国によって援助されるべきである。
7)現行「臓器移植法」に定められた法改定条件が遵守されなかった。

 論点は明確で正鵠を得ており、個人的には4)に関しては異議がありますが、他は論理的には正しいと考えます。しかし、だからと言ってこの法案成立を敢えて非難する気にもならないところに臟噐移植という医療の是非を問うことの難しさがあると思います。

 本ブログでは今まではこの問題を避けてきましたが、ドナーを送り出す立場で働いている一員として、この改正案成立を機に一応の私見は述べておこうかと思います。

 先ず、個人的な心情として昔から私は脳死臟噐移植という行為には反対です。しかし、脳死臟噐移植という医療がこの世に存在する以上、法案整備の上で行われる事には異議は唱えませんし、むしろ他国任せにする事の方が問題だと思っています。

 先の臓器改正法が論議されていた時点での私の考えは下記の通りで、大筋では今も変わっていません。

1: 「脳死=人の死」であるという科学的根拠は脆弱である
2: しかし現実には、提案された脳死判定の定義を満たした場合回復はまずあり得ない
3: 「臓器移植を前提とする場合に限って」などと留保付きで人の死を定義する事は、医学・哲学・宗教学等様々な倫理的観点から見て人間の尊厳を愚弄している
4: 鎖国社会ではないにもかかわらず、日本だけが脳死臓器移植を認めないのは国際社会の一員としての責務を果たしていない

 ですから臓器移植法が成立した時点で3に関しては大きな不満が残りました。今回出された法案でもA案以外はまだ留保付きで人の死を定義していて、とても支持する気になれませんでした。ですから留保を取り除いたという一点だけで私はA案を評価します。

 問題は留保の取り払い方が私の考え方とは全く逆で「脳死が一般に人の死である」と定義した事。これに関しては生命倫理会議の主張が正しいと私も思います。しかし何の留保も無く「脳死は人の死ではない」と定義すれば

「まだ生きている脳死状態の患者」からの臓器移植を認める

という法案を出すしかありませんが、これが法的に認められるでしょうか。おそらく無理です。

 以上無理な事を無理と知りつつやらざるを得ないのが臓器移植なのだ、というのが私の認識です。送り出す側からすれば断腸の思いだけれども、法には従います。レシピエント側の方々は「使い物になる臓器」を頂く事が何を意味しているのかを厳粛に受け止めて欲しいと思います。

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2009/03/31

ユニセフ・ニュース2009春

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(日本ユニセフ協会HPより)
 いつも紹介している国境無き医師団の報告と内容がかぶる部分が多いので今まで日本ユニセフ協会のニュースは取り上げてきませんでしたが、春号にガザの報告があったので記事に取り上げてみます。本ブログの新企画の「今日の一言」が「イスラエルに平和あれ!」で始まりましたのでそのけじめもつけないといけないですしね。以下、ニュースとHPから要約してみます。

『 2007年12月28日のイスラエル軍侵攻に始まった中東パレスチナのガザ地区での武力衝突は2008年1月18日双方の勢力が停戦を宣言しました。イスラエル軍の空爆は終わりましたが、散発的な衝突が場所によっては続いているといいます。(2月17日現在)

 パレスチナ自治区の保健省によると、

犠牲者:1404人(うち子ども431人女性114人
負傷者:5380人(うち子ども1872人女性800人

 ガザの人口141万7000人の約56%が子どもで、死者・負傷者の約3分の一が子どもでした。イスラエル軍の犠牲者は9人、負傷者183人でした。

 今回の衝突で手足を失った人たちは少なくとも200~300人。白リン弾によると思われる重度のやけどをおった人たちも数多くいてそのリハビリには長い時間がかかると言われています。白リン弾とは爆弾の一種で、中に入っている白リンが大気(酸素)と結びついて燃焼し、人の近くで爆発するとひどいやけどを負わせるため「非人道的な兵器」として使用禁止を訴える人たちも多い武器です。

 また、ガザの学校は深刻な影響を受けており、10校が全壊、168校が部分的に損害を受けました。また、イスラエル南部の学校も武力衝突の攻撃を受けました。

 今回の武力衝突が始まってから、ユニセフは、緊急医療物資を含め、水と衛生施設の修復のための資材や飲料水、公衆衛生物資、栄養不良改善のための治療用の食品などの提供のほか、子どもたちや子どもたちの世話をする人々など、支援の最前線で活躍する人々たちへの心理的サポートなどの支援活動を行っています。また、ユニセフは、できる限り早く子どもと先生が学校に戻れるよう学校教材も提供しました。

「 私は次の言葉を世界の指導者たちに送りたいと思います。私たちのヒューマニティは、どんな国籍の子どもたちであろうと、子どもたちが軍事行動の犠牲になっている限り、完全ではないと。
(中略)
 世界の人々は、子どもを亡くした母親たちに、なんと声をかければいいのでしょうか。一日に5人の娘を失ったパレスチナの母親に。痛みに泣き叫ぶこどもたちや、私たちが一生涯かかっても経験しないであろうトラウマに対処しなければならない子どもたちを見る母親たちにどんな声をかけたら良いというのでしょうか?
 彼らの命はどうでもいいのだと?その死は数える必要などないと?そんな事が言えましょうか?
(中略)
 彼らの命はとても大切です。失われた命はどれも尊い命なのです。私たちが言うところのヒューマニティから切り離してはいけないのです。どの子一人とて、どの市民一人とて、無視できる存在では無いのですから」(ユニセフ子どものための大使ヨルダン・ラニア王妃の緊急メッセージ)

「子どもたちには優れた回復力があります。だからこそ、適切なケアと教育の機会を提供し、子どもたちを保護し、普段の生活に戻れるように支援することが、『今』必要なのです。私たちは、今、この時期の支援活動を滞らせるわけには行きません。」(アン・ベネマン・ユニセフ事務局長) 』 

 日本ユニセフ協会は、2月12日15万ドル(米)(約1400万円)をユニセフ本部に緊急拠出したそうです。ユニセフは国際社会に対して3400万ドル(米)の協力を呼びかけています。

 以下余談ですが、Voiceという投稿欄に京都の方が昭和24年の「ユニセフ物資配給券」を心温まる手紙とともに送っておられました。その方の祖母が女児用に配給された券を保存されていたそうです。
 若い方にはぴんと来ないかもしれませんが、今でこそ最大の支援国側の一国である日本も、第二次世界大戦後は設立されたばかりのユニセフの援助に支えられ、戦後の荒廃から復興しました。支援は1964年まで行われ、当時の金額で65億円にものぼりました。ご高齢の方には「脱脂粉乳」というイメージが強いと思いますが、原綿を供給して日本で加工することにより産業と経済にも寄与していました。ちなみに私も小学校中学年頃までは学校給食に脱脂粉乳が出ていて嫌々飲んでいましたが、日本の飢餓を救った功績は計り知れないものがあったのですね。

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2009/01/24

オバマ大統領就任演説:アメリカ幼年期の終わり

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 1月20日に行われたアメリカ合衆国第44代大統領バラク・オバマ氏の大統領就任演説は世界からの注目を浴びましたが、アメリカ本国はもとより西側世界の概ねのメディアから好評をもって迎えられたようです。私もiKnow!というサイトでじっくりと拝聴しました。
 27歳の天才ライターとともに作り上げたその文章及び彼の演説は見事なものです。我々の世代の英語の授業によくケネディ大統領の演説が使われたように、来年度以降の英語の教科書・入試問題等に頻繁に登場する事は想像に難くありませんし、それだけの価値のあるものだと思います。
 日本でも直接選挙で日本の指導者を選択できるようになればこれだけの演説をする人が出て来るかもしれないという思いも抱きました。でも、某元総理大臣の、威勢が良いだけの博打打ちのような詭弁に引っかかってしまう国民性を考えるとそれもまたそれで危険なのかもしれませんね。

 彼の演説の上手いところは苦境を訴えつつ区切りでは希望を持たせるところ。演説の常套手段ではありますが、その盛り上げ方が実に上手いですね。

 例えば冒頭ではアメリカが未曾有の危機にあり、これを立て直すことは一朝一夕にはできない大変な難事業であることを率直に認めつつ、一呼吸置く所では力強い言葉で結んでいます。

「Today I say to you that the challenges we face are real. They are serious and they are many. They will not be met easily or in a short span of time. But know this, America, they will be met.」

 わが国では「米百俵」の故事を持ち出してひたすら国民に我慢を強いた挙句現在のような惨状を招いた宰相がいましたが、アメリカ人の乗せられると爆発的な力を発揮する国民性を考えると、彼の鼓舞により国民が自信を取り戻せばオバマ式ニューディール政策はひょっとするとひょっとするかもしれません。そうでなければ世界が困るのですけどね(苦笑。

 個人的に興味深かったのはそのあと、聖書の言葉を引用しているところです。

「 in the words of Scripture, the time has come to set aside childish things. 」

と語っています。故アーサー・C・クラークの「幼年期の終わり」を思いださせるフレーズですね。何をもって子供じみていたかを彼は巧妙に韜晦していますが、古き悪しき慣習、極論すればブッシュ政権の悪政を弾劾しているようにも感じます。

 そのあと彼は自国の歴史について延々と熱弁し、その上で経済、防衛についての自身の強い決意を述べます。そしてその区切りにはやはり、アメリカは立ち直れると強く語るのです。

「 know that America is a friend of each nation and every man, woman, and child who seeks a future of peace and dignity, and we are ready to lead once more.」

 「America」と何度も民衆に呼びかける背景には、合衆国が多民族国家であり、多宗教であり、巨大な貧富格差がある事が背景にあると思われます。それらを超えて、「America」として団結しようと言う彼の基本姿勢が見て取れるとも思いますし、逆にそれが大変困難なことだから強調しているとも考えられます。

 もちろんそのバックグラウンドとして彼が黒人初の大統領であることを全世界が意識していました。しかし意外にも彼はそれほど強調しませんでした。彼自身の家系が本国に於いて迫害を受けていた黒人家系では無い事もあるのでしょうけれども、白人への無用な刺激を避けたとも考えられます。そしてラスト近くにワンポイントで言及した所にライターの見事な腕前を感じます。

「This is the meaning of our liberty and our creed, why men and women and children of every race and every faith can join in celebration across this magnificent mall, and why a man whose father less than sixty years ago might not have been served at a local restaurant can now stand before you to take a most sacred oath.」

 たった60年足らず前父親は地元のレストランにさえ入れなかった、その子供が今最も神聖な宣誓をしている、この言葉だけで確かに十分でしょう。黒人の聴衆は、この一言にマーチン・ルーサー・キング牧師、マルコムX、マイルス・デイヴィス、チャック・ベリー、シドニー・ポワチエ、モータウンレコード等々に代表される黒人社会の先達の流した血や涙を思い涙したに相違ありません。

 一方彼の父親がムスリムであることも良く知られていますが、今や世界の火種であるムスリム世界に対しても積極的に語りかけています。対話には応じると語りつつも頑なな相手は容赦なく叩き潰す、と表明するあたりはやっぱり共和党が民主党になってもアメリカはアメリカだなあと感じます。

「We will not apologize for our way of life, nor will we waver in its defense. And for those who seek to advance their aims by inducing terror and slaughtering innocents, we say to you now that our spirit is stronger and cannot be broken. You cannot outlast us, and we will defeat you.

To the Muslim world, we seek a new way forward, based on mutual interest and mutual respect. To those leaders around the globe who seek to sow conflict, or blame their society’s ills on the West — know that your people will judge you on what you can build, not what you destroy. To those who cling to power through corruption and deceit and the silencing of dissent, know that you are on the wrong side of history but that we will extend a hand if you are willing to unclench your fist.」

 このあたりの文章に関して見ていただきたい映像があります。高校時代の友人が教えてくれたものですが、フランス人記者がガザ地区の救急車に同乗して取材した動画です。フランス語での長いニュースですので、1分40秒、5分、8分、11分30秒あたりの画像だけでもご覧ください。ただし心臓の弱い方、恐怖画像の嫌いな方には敢えてお勧めしません。

 オバマ大統領、この映像を見るかぎり「テロを起こし、罪のない人間を殺害することで目的を遂げようとする者」はイスラエルなのではありませんか?その国に大量の武器を供給している国は一体どこなのですか?ハマスやアルカイダなどを「紛争の種を蒔き、自国の問題を西側諸国の責任にしようとする」と断定する事は容易く、確かに彼等は「固く握った拳を開く意思」はないかもしれない。そしてイスラエルの軍備に比して圧倒的な弱者集団であっても核兵器は一発大逆転の手段として脅威であるかもしれない。だからといってガザがこのような状況に置かれることに大義はあるのですか?

 どうか、「相互利益と尊重を基盤に、進むべき新しい道を模索」してください。それこそが「アメリカ幼年期の終わり」なのだと信じています。

God bless you, and God bless the United States of America, and God bless All People on The Earth.

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2008/12/07

国境なき医師団報告2008(後)

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(コンゴ民主共和国ギブ州での移動診療におけるマラリア検査)
 さて、国境なき医師団(MSF)の緊急事態地図をもとに今回は個別の地域での緊急事態を見ていきましょう。アジアからアフリカ、南アメリカ、再びアジア、ロシアと世界を旅していきますが、残念ながらTVの旅番組のような気分では回れません。しかし、できることなら途中帰国せずに最後まで旅を続けてください。

1:アフガニスタン: 世界1位の難民数310万人
 長年の戦火に疲弊した経済
 平均寿命42.9歳
 子どもの半数が慢性的栄養失調、
 4人に1人が5歳まで生きられない
 自爆テロ、誘拐など市民や外国人に対する攻撃は続く

2:中国・四川大地震: 2008年5月12日、M8.0の地震が発生、4620万人が被災
 死者・行方不明者8万7千人、負傷者37万人
 倒壊した学校の下敷きになり9千人以上の学童が犠牲に

3:ミャンマー: 医療からも人道援助からも疎外される人々
 46年にわたる軍事政権の圧政と鎖国政策
 国家予算に占める医療予算の割合は1.1%
 子どもの10人に1人が5歳までに死亡、3人に1人が慢性的栄養失調
 2008年5月、超大型サイクロン「ナルギス」により240万人以上が被災

4:スリランカ: 内戦により、45万人以上が避難生活
 25年間、停戦と戦闘を繰り返す政府軍と反政府勢力の武力対立
 爆撃、地雷、誘拐、略式処刑、人道援助従事者に対する攻撃
 前線地域で負傷者を治療する医療従事者の不在

5:スーダン: 絶え間なく繰り返される戦闘、大量虐殺、略奪行為
 植民地独立後、50年間武力紛争の絶えない国
 2005年の南北内戦の停戦後も止まないダルフール地方の虐殺
 人口の14%、500万人以上が今も国内避難民
 子どもの6割が栄養失調状態

6:エチオピア: 緊急に食糧援助を必要とする人びと、800万人
 干ばつと洪水を繰り返す厳しい気象条件と、農村開発の遅れによる慢性的な食料不足
 2008年、大干ばつと世界的食糧危機が追い打ち、8ヶ月間で食料価格が200%上昇
 7万5千人の子どもが重篤な栄養失調状態

7:ケニア: 続く氏族間対立と土地分配を巡る争い
 暴力を逃れて国内避難民35万人
 2007年末、大統領選挙の結果を巡り争乱状態が発生
 銃やナタによる無差別襲撃にさらされ新たに50万人が避難

8:ジンバブエ: 世界最悪のインフレ率、失業率80%、300万人が経済難民に
 政治・経済の崩壊で医療制度が壊滅、平均寿命40.9歳
 成人の5人に1人がHIV感染、5歳以下の子どもの死因の4割がHIV/エイズ
 コレラや結核の感染も深刻

9:コンゴ民主共和国: 第二次世界大戦以来最悪の紛争、10年間で死者・行方不明者400万人
 2007年、戦闘の激化で新たに57万人が家を追われ計130万人が国内避難民に
 年間62万人の子どもが死亡、その半数は栄養失調による
 性的暴行を受ける女性が年間数万人、少年兵にされた子ども数万人

10:ソマリア: 2007年、首都での戦闘激化により国内避難民の数100万人に
 全土で続く内戦により、中央政府も医療制度も機能していない
 悪化する治安状況により人道介入が困難
 大干ばつもあり、栄養失調が急激に悪化

11:中央アフリカ共和国: 村を焼きはらわれ、森林に隠れて暮らす人びと
 繰り返されるクーデター、蔓延する暴力
 武装強盗団の襲撃により、国内避難民20万人
 国民の66.6%が一日1ドル以下で暮らす
 子どもの半数が栄養失調

12:チャド: 治安状況の悪化が続く中、妨げられる人道援助
 ここ数年の内戦激化や隣国スーダン民兵の攻撃により18万人が避難
 スーダンや中央アフリカ共和国から逃れてきた31万人の難民も混在
 度重なる洪水や武装勢力の襲撃が、他に頼るもののない人びとへの援助を遮る

13:コロンビア: 続く内戦状態、380万人の国内避難民
 40年以上続く、政府軍、民兵、反政府軍による内戦状態
 都市のスラム街の劣悪な衛生環境、身を潜めて暮らす人々
 地方では反政府軍の道路封鎖により医療アクセスに制限

14:イラク: 難民230万人、国内避難民280万人、国民の2割が今も避難生活
 2003年開始のイラク戦争以降、今も続く紛争状態
 連日民間人に負傷者、破壊された経済社会インフラ
 イラク人医師の半数が国外に脱出、戦傷者の治療や心理ケアの絶対的不足

15:チェチェン共和国(ロシア連邦): 今も続く銃撃戦、暗殺、誘拐などの暴力、満たされない医療ニーズ
 ロシア政府と分離独立派の紛争終結から4年、北コーカサス地方全体で続く暴力
 国内避難民10万人以上
 爆撃で家を失った多くの人々が仮設住宅で生活

16:グルジア: 2008年、武力衝突発生
 分離独立を求める南オセチア自治州での武力衝突がロシア軍とグルジア軍の戦闘に発展
 15万人以上が避難民となる

インタビュー: 10:ソマリアより

 子どもたちを連れて、ここのキャンプに逃げてきました。夫は亡くなりました。
 一番下の息子は、逃げている途中で、戦闘のさなかに産まれました。この子は生後37日で病気になりました。今、7ヶ月ですが、具合はどんどん悪くなりました。MSFが紹介してくれて、18日前にこの診療所に来ました。来たときはこの子は骨と皮の状態でしたが、今はご覧のとおり、、大きな希望が見えてきました。
 私たちの生活条件は非常に悪いです。私は布と棒でつくった小屋に住んでいます。支援は全く受けておらず、ビニールシートすら持っていないのです。

( 2008年6月、首都モガディシオの郊外、ハワ・アブディの診療所に子どもを連れてきた女性 ) 

 これだけ圧倒的な数字を前にすると、MSFだろうがUNICEFだろうがAMDAだろうが全てが無意味に思えてきても無理はありません。MSFも

「MSFが世界の全ての緊急事態に介入し、全ての人を救えるわけではありません。私たちの持つ専門性と寄付によって支えられる貴重な資金を使って、最大の効果を発揮し、できるかぎり多くの命を救うには、いつ、どの地へ駆けつけるべきなのか、その問いに向き合いながら活動を続けています」

と述べています。非常に合理的でいかにも西洋文明社会の考え方であり、そしてその行動力はノーベル平和賞に相応しいものと思います。ただ、西洋的哲学の押し付けがイラクにどんな結果をもたらしたかも忘れてはならないでしょう。
 そして東洋には「無常」という思想もあります。人がどのような状況下で生まれ、どのような生老病死に苦しもうとも、それは仕方のないことなのだ、という哲学を持つ人がいても、何びとたりともその人を責める資格はありません。

 しかしその上で、少しでもこのような世界の現実が不条理であり、先進諸国の前々世紀からの圧政・植民地政策、産業革命による環境汚染・温暖化、新自由主義経済による富の極端な一極集中等々のつけを、このような世界に押し付けているのだと感じるならば、何か自分のできる事を考えてみてもいいのではないでしょうか。それが免罪符になると言うわけでは決してありませんが、MSFを応援するのも一つの選択肢だと、私は思います。

『 皆様からの寄付でできること

5,000円で、
50人に髄膜炎、はしか、ポリオの予防接種を行えます。

10,000円で、
2人の重度の栄養失調児を集中栄養治療キットを用いて治療できます。

20,000円で、
600人の避難民に清潔な飲み水を1ヶ月間供給できます。

(国境なき医師団日本 HPより抜粋) 』

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2008/12/06

国境なき医師団報告2008(前)

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 このブログでは度々国境なき医師団(MSF)の活動について報告してきましたが、先日今年を総括する報告(REACT)が届きました。マスコミは先日のインドのテロなど大きな事件があれば報道しますが、リーマンショック以来、不況、物価高、雇用不安、茶番政治不信、凶悪事件、医療危機等々、ますます内向的な報道の比率が増えているように感じます。
 もちろんわが国を含めた先進諸国が百年に一度とも言われる未曾有の経済危機に直面している事は確かです。しかし、本当にそして現在進行形で、新自由主義経済を振りかざしてきた先進国の犠牲となり生命の危機に晒されているのは一体誰なのでしょうか?
 その答えを端的に示した今回の報告書の見開きページを写真に撮ってみました。「世界の緊急事態地図」です。青文字が総論、白が各論です。先ず今回は総論から写し取ってみましょう。

[ 総論 ]
1:栄養失調: 毎年500万人が栄養失調で死亡
 2千万人が栄養失調で生命の危機にある
 2008年は世界の食料価格が54%高騰、1億3千万人が飢えに直面

2:妊産婦/乳幼児死亡率: 基礎的な医療さえあれば救える多くの命
 世界では3秒に1人の子供が命を落としている
 多くは栄養失調、はしか、マラリア等の感染症、下痢症が原因
 出産時に母親が死亡する確率はアフリカでは先進国の100倍

3:HIV/エイズ: 感染者数3320万人
 15歳以下の子どもの感染者210万人
 2007年には新たに270万人が感染
 エイズによる2007年の死亡者200万人のうち150万人がアフリカの患者

4:マラリア: 毎年5億人が感染し、100万人以上が死に至る
 胎児死亡の6割、母体死亡の1割の原因となっている
 50秒に1人のアフリカの子どもの命を奪っている

5:自然災害: 増加の一途をたどる自然災害件数
 2007年には計414件の自然災害が発生、1万6847人が死亡、2億1100万人以上が被災
 特に水害の件数は2000年以降毎年平均8.4%増加

6:結核: 毎年新たに900万人が発病、150万人が死に至る
 120年前から変わらない検査法による発見率は50%
 従来の薬が効かない多剤耐性結核患者(MDR-TB)、進まない新薬の開発

インタビュー

3(エイズ)に関して:

私がHIVに感染していることが判明したとき、ARV薬(*)はまだ手に入りませんでした。私は1年間治療も受けられず、その間に症状は悪化していきました。しょっちゅう熱を出して、結核にもかかりました。結核治療薬の副作用にも苦しみました。一度目を閉じるともう自分の力でまぶたを開くことができなくなりました。誰かの助けが必要だったのです。食べることもできず、いつも痛みを訴えていました。唇がくっついてしまい、お腹がすいても口を開いて食べ物を飲み込むことさえできませんでした。
( タイの13歳の少女 )(*ARV薬:抗レトロウィルス薬)

5(自然災害)に関して:

私たち夫婦は生きていますが、たった一人の子ども、3歳の娘を失いました。嵐が来て水位があがってきたとき、私たち三人はいっしょにいて、逃げ延びようとしました。嵐は6時間か8時間ぐらい続きました。嵐の中で3、4時間たったとき、私は妻に言いました。「私は子どもを救わないといけないからおまえを助けられない」。妻は同意して言いました。「いいわ、その子を助けてください」。私は娘を肩に乗せてひたすら泳ぎました。3時間後私は娘に言いました。「もうおまえを助けられない。なぜなら二人とも死んでしまうからだ」。それで、私は娘を失いました。彼女を置き去ることしかできなかったのです。妻は、木の枝を見つけてつかまって生き延びていました。私たちは避難キャンプで再会し、二人で泣きました。
( ミャンマー・サイクロン被害、MSFの移動診療に妻とともにケガの治療にきた男性 )

 いかがですか?世界人口の大勢を占める世界の現実はこんなものです。このような現実に対する日本のマスコミの姿勢に関して最近思うところが二つありましたので、今回はそれを記して最後にします。

1: 以前拙ブログでボロクソに貶した映画「相棒ー劇場版ー」ですが、取り扱っているテーマはこの地図にも載っている南米某国での誘拐ビジネスでした。そして、今TVで放映されている「相棒 Season7」の第一話では、これもこの地図に載っている東南アジアの某国軍事政府の人道援助搾取をテーマとして扱っていました。このようなテーマには方々から圧力がかかるものですが、あえてそこに踏み込んだプロデューサーの見識には敬意を表したいと思います。

2: マラソンの中継を見ていていつも思うことがあります。エチオピアケニアの二つの強国が実はこの地図に載っているのです。
 そのような国からどんな思いを胸に選手たちは世界を転戦しているのでしょう。日本での中継ではアフリカ勢を強力なライバルとしか扱わず、脱落していくと心なしかアナウンサーの声が嬉しそうに聞こえるのは私だけでしょうか。
 また、日本へ留学している選手が大きな大会で優勝したら「日本が育てた」という事ばかり連呼するのはいかがなものでしょうか。
 そして英国外務省書記官だったマーラ・ヤマウチ選手がこのような世界の実情をより多くの人々に知ってもらうため、そしてサポートするために走り続けているのだという事をこの前の東京女子マラソンのTV中継で一言でも紹介してくれたでしょうか?悲しいことに私が聞く限りではありませんでした。

 次回はそのような世界各地の各論を手動OCRしてみたいと思います。

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2008/04/09

小川国夫氏を悼む

アポロンの島 (講談社文芸文庫)
 ちょっとショックなニュースが飛び込んできましたので、ゲド戦記のまとめをお休みさせていただきます。作家、小川国夫氏が4月8日肺炎の為死去されました。謹んで哀悼の意を捧げます。

小川国夫さん死去=内向の世代の代表作家

 若い時代にパリに留学、ヴェスパで地中海地方を放浪された影響で、欧州やキリスト教をテーマにした小説が多かったのが、当時の日本人作家の中では異色でした。洗礼を受けクリスチャンにもなっておられます。しかし決して欧州かぶれの文章ではなく、独特の鋭い日本語感覚が素晴らしいと感じた小説が多々ありました。
 どの作品だったかは忘れてしまったのですが、故郷の静岡の海、駿河湾をその文字からの連想で「駿き馬の流れ」と表現されたことが特に印象に残っています。

 初めて読まれる方にはまずは「アポロンの島」をお勧めします。素晴らしい作家がまた一人逝ってしまった哀しみと喪失感を感じとる事ができると思います。

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2008/01/27

10の最も報じられなかった人道的危機2007

2006年に一度、国境なき医師団の「10の報じられなかった人道的危機()」を紹介したことがありましたが、2007年版がHPで発表されています。

1:結核: 新薬が試されないまま耐性結核が拡大
2:子供の栄養失調: RUF(治療食品)の活用で栄養失調を減らす
3:コロンビア: 紛争地帯で危険とともに生活
4:コンゴ民主共和国: 東部で状況がますます悪化
5:ジンバブエ: 政治・経済混乱で医療制度も崩壊
6:スリランカ: 内戦で民間人が戦火にさらされる
7:ソマリア: 危機に直面する避難民
8:中央アフリカ共和国: 武力衝突で苦境に陥る一般市民
9:チェチェン: 人道危機は未だ去らず
10:ミャンマー: 大幅に制限される人道援助

前回と同じく名を連ねている国もあれば、消えた国もあります。ただ、消えた国と言うのは「報道されなかった」から外れただけで、決して解消されたわけではありませんし、1,2に収束されている可能性もあります。結核に取って代わられたエイズが消えたわけではないのと同じことです。

今回はTVバラエティの「世界一受けたい授業」などで紹介され、世間の耳目を集めているようで良い傾向だと思います。ゲストや観衆が一言一言に驚いているのには食傷しましたが、これが現実なんですね。そして今後、この様な事実がバラエティ番組ではなく一般ニュースとして日常流されることもまず無いでしょう。我々は意識してこの様な世界情勢を知る努力をしなくては、本当の世界の姿を見失ってしまうのではないでしょうか。

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2007/04/14

カート・ヴォネガット氏を悼む

Birdcage_2
 アメリカの作家Kurt Vonnegut(カート・ヴォネガット)氏が4月11日永眠されたそうです。謹んでお悔やみ申し上げます。
 近年は執筆活動を行っておられず「タイムクエイク」以後彼の小説を読む機会もありませんでしたが、最近トルーマン・カポーティの伝記を仕事の合間に拾い読みしていて、丁度ヴォネガット氏のインタビューを読んだところでした。ひょっとしたら「俺はそろそろ逝くよ」と教えてくれていたのかもしれませんね。今頃

So Be It. (そんなもんだ)」

と、ニヤリとしておられるかも。笑って送ってあげたいですが、公式サイトの開け放たれた鳥籠を見たら少しほろっとしました。

 私が彼に熱中していたのは大学生時代で、その頃は「カート・ヴォネガット・ジュニア」と言う名前でした。むこうでは「カルト作家」として一部に熱狂的なファンを有する作家でしたが、日本では一風変わったSF作家として扱われていたように思います。伊藤典夫氏をはじめとするSF翻訳家が主に早川書房などに細々と紹介されていました。

 というわけでまあ正直言って当時日本ではドマイナーでした。「Slaughterhouse-5」などは最初「屠殺場5号」という邦題で全く売れず、後に「スローターハウス5」と名前を変えてそこそこ売れるようになった、なんて話もありました。この本こそ、諦観とアイロニーに満ちた彼の作品群の根底を成す、自身のドレスデン大空襲体験を小説化した代表作なんですけどね。
 もう一つの代表作「ボコノン教」で有名な「Cat's Cradle(猫のゆりかご)」を日本の新しい世代の作家達が認めるようになって徐々に日本でも人気が出てきたように記憶しています。私もなんやかや言いながらこの小説が一番好きです。

「わたしがこれから語ろうとするさまざまな真実の事柄は、
みんなまっ赤な嘘である。
ボコノン教徒としてのわたしの警告は、こうだ。
嘘の上にも有益な宗教は築ける。
それがわからない人間には、この本はわからない。
わからなければそれでよい。」
ボコノンの書より)

Cat's Cradle

 そう言えば社会人2年目の頃でしたか、同門会誌に彼の事を紹介したのですが見事に誰も知りませんでした。その前の年に石田波郷について生意気な文章を書いたもんで、先輩の先生方から次の年もその調子を期待されていたのですが、見事に肩透かしを食らわせてしまったわけですね(^_^;)。でも個人的にはこちらの文章の方が余程気にいっていたんです、というわけで昔の恥ずかしい文章を抜粋して彼への追悼としたいと思います。

『 (冒頭数行略)
 カート・ヴォネガットは日本ではまだ一部のSFマニアにしか知られていないが、アメリカでは

「one of the best living American writers」(Graham Green)

として名声を馳せている。処女作は「プレイヤー・ピアノ」であるが、彼がカルト作家として一部インテリ層に熱狂的信者を集めるようになったのは「猫のゆりかご」をものしてからである。映画化もされた「スローターハウス5」で彼の純文学作家としての名声は決定的となったが、彼の独特の文体の出発点が「猫のゆりかご」であることに変わりはない。

 では彼がどんな作家であるかと云われると非常に困るのだが、一言で云うと

"foma" =  harmless untruth

を書く作家という事になろう。「スローターハウス5」「スラップスティック」等彼の自伝めいた作品でさえuntruthのオブラートに包まれる。

 彼の作品中の人物の多くは、小男、どもり、白痴、奇人等である。彼はそれらの人物に余分な愛情も過度の軽蔑も示さない。淡々とした「馬鹿なりの」生活を描いていくうちに。彼の人生に対するほろ苦い諦観が浮き彫りにされていく。例えば「スローターハウス5」は第二次大戦で連合軍が行ったドレスデン空襲(広島より多くの犠牲者が出た。彼は実際に空襲される側の人間としてこの空襲を経験した)を扱った作品であるが、作中で登場人物が次々に死んでいく。その度に彼はこう付け加えるのだ。

「そういうものだ = So be it. or So it goes.」

と。これ程人を喰った表現も珍しいと思う。しかし、人類の為した無類の暴挙愚行を通り過ぎた彼のほろ苦い哀しみと解釈すれば、ホモ・サピエンスへの彼の愛着の裏返しの表現とも思えてくる。
 事実彼は「猫のゆりかご」「スラップスティック」「プレイヤー・ピアノ」等で、人類文明を何度か破滅させるのだが、作中で何度と無く次の意味の文章が顔を覗かせる。

「Love may fail, but courtesy will prevail」

彼の文中のあまり世渡りの上手くない人物は決して愛してくれとは云わない。ごくありふれた親切さえあれば人生をそれだけで生きていけるのである。そして死に直面すれば素直に従うのだ。So be it.と。そんな情けの無いと言えば情けの無い、しかしこれ程穏やかな人生は無いと云える日常を、彼独特の奇想天外なシチュエーションの下に描き出したfoma、それが彼の作品である。

 彼のそんな思想(と云えるかどうかわからないが)を、fomaで塗り固めたのが「猫のゆりかご」に出て来るボコノン教である。是非ご一読頂き、その綿菓子のような毒気にあてられて頂きたいと思うが、ここではその白眉を記しておく。

第14章:
Q:  " What can a thoughtful man hope for mankind on earth, given the experience of the past million years? "
A: " Nothing "

(以下略)』

合掌。

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2006/08/09

ある疑念

 往く夏や 昭和は遠くなりにけり
なんて盗句をひねらなければならないほど太平洋戦争についての知識が若い人には乏しいらしいですね。とにかく8月6,9,15日だけは何の日か知っておいてほしいものです。という事で今日は8月9日、黙祷。

リンク: asahi.com:「毎年参拝私の思い」 小泉首相、メルマガでメッセージ�-�政治.

 上記の記事で小泉首相は6,9,15日の式典には必ず参列するとおっしゃっておられます。必ず靖国問題とセットで出てくる話題なのでかすみがちなのですが、とにもかくにも首相がこの式典に参加し続ける事は大事だと思いますし、その点では評価できる方だと思うのです。

 ところが、去年のみならず今年も、広島での平和記念式典での彼の挨拶がどうも気になって仕方がない。原稿棒読み丸出しなのは日本の政治家として仕方ないのかもしれませんが、どうにも不愉快そう、面倒くさそうに読んでいる感じが否めないのですね。故意ではないかと言う疑念がどうしても頭から去らないのです。

 自分だけかと思ってたら「世に倦む日々」でも取り上げられてました。やっぱりそう感じているのは自分だけではなかったのですね。私よりはるかに直截に小泉批判を繰り広げておられる方ですから、舌鋒も事のほか鋭い。少し引用させていただきますと、

昨年と同様、中身がなく、文面を読み上げる態度が不真面目そのもので、中継を見守る者を苛立たせる不誠実なものだった。あの態度は意図的なもので、慰霊の 日を貶める卑劣な挑発であり、平和を祈念する国民の真摯な感情を逆撫でする悪意の揶揄である。原爆で命を落とした犠牲者を冒涜し、生きながら後遺症に苦し む被爆者を侮辱し、そして唯一の被爆国である日本国と日本国民の立場を傷つける許すべからざる行為である。(中略)態度で表出している小泉首相のメッセージは、自分は被爆者の苦痛にも原爆の惨禍にも特に興味関心はなく、為政者として非核三原則を厳守する意思も平和憲法を遵守する思想も持っていないということだった。(thessalonike4さんの文章より)

あれだけ戦没者にこだわる方が原爆の被災者には何の興味もないのでしょうか。岩手日報に掲載されていた挨拶要旨をここに引用しておきます。この文章を故意に気に障るように読む、ということはある意味至難の技だと思いますけれどもね。

『 原爆の犠牲となった方々の御霊(みたま)に謹んで哀悼の誠をささげる。また今なお被爆の後遺症に苦しんでいる方々に心からお見舞い申し上げる。

 政府は被爆者の方々に対し、保健、医療、福祉にわたる総合的な援護施策を充実させてきた。昨年秋からは、海外の被爆者がわが国の在外公館を通じて手当の申請ができるよう制度を改正した。今後とも、被爆者の実情を踏まえた諸施策を誠心誠意推進していく。

 広島は焦土から立ち上がり、国際平和文化都市として、大きく成長している。広島の復興、発展に尽力された多くの皆さまに敬意を表する。

  わが国は人類史上唯一の被爆国として、その経験を国際社会に語り継ぐ責任がある。広島、長崎の悲劇はどこであっても再び繰り返されてはならないとの決意の 下、わが国は戦後61年の間、不戦の誓いを体現し実行してきた。わたしは犠牲者の御霊と広島市民の前で、今後とも憲法の平和条項を順守し、非核3原則を堅 持し、核兵器の廃絶と恒久平和の実現に向け、国際社会の先頭に立ち続けることをあらためて誓う。』 (岩手日報2006年8月6日)

原爆症認定の訴訟はまだ延々と続いています。

追記(8月10日):

本日のきっこのブログを見て怒り心頭に発しました。本当に卑劣な男です。

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2006/06/28

奈良放火殺人事件に思う

 あまり社会事件は取り上げないブログなのですが、このところずっと脳裏から離れないもので敢えて取り上げることにします。少年がもし精神を病んでいたのなら何も語るまい、と心に決めていたのですが、報道を見る限りそうではないようですのでとりあえず今思っていることをまとめておきます。
放火・殺人容疑で長男を逮捕、奈良・母子死亡

 この事件、あまりにも自分に近すぎるところで起こっている印象が強くどうにもこうにもやりきれない、と言うのが実感です。実は私とこれだけ接点、共通点があるのです。

1: 事件を起こした少年は私の母校の後輩である
2: 私も医学部を受験した
3: 田原本町は私の実家の近隣である
4: 少年の父と同じく自分も医師である
5: 私も二人の子を中学受験・大学受験させた

 違うところは、私の家は医師の家系ではなく、子供を医師にするつもりが毛頭なかったことくらいでしょうか。

 いろいろと好奇の目で見られる要素が多くマスコミの格好の餌食になっている感がありますが、正直なところいくら考えても平凡な帰結にしかなりません。すなわち

放火および尊属殺人を犯した少年に同情の余地は無く、家を焼かれ、妻子供を殺された父親は被害者以外の何者でもない

ということです。なんと言う単純で冷酷な意見だろうと思われるかもしれませんが、よくよく考えて考え抜いても結局そこへしか考えは帰ってこないのです。思うところはいろいろとありますが、
1: 何故少年はあれほど同情されるのか
2: 何故父親が悪者にされるのか
私にはどうにも理解できません。

 せいぜいが成績について嘘をついていたのがばれて、大目玉食らって2,3発殴られる程度の事が「追い詰められていた」なんて軽々に表現するようなことでしょうか。家族を焼死させるに足るような追い詰められ方なんでしょうか。親に反感を抱くこと恐れること、それは誰でもあるでしょう。家に火をつけてやろうかと思うこともないではないかもしれません。でもそれをやらない分別を持つ事が当たり前なのであって、分別も無くやってしまった人間を「精神的に追い詰められていたのだろう、かわいそう」という程度の理由で擁護してどうするのか、と言いたいですね。

 「リセットしたかった」「時間を戻したい」と言うような表現は、ゲーム感覚とかの分析対象にはもってこいの表現なのかもしれませんが、要は「精神的に幼い」だけのことでしょう。手前味噌ですが、私の母校は校風として勉強よりも人間形成の方が大事である、との方針で非常に自由な校風でしたし、教師陣にも人間的に尊敬できる方々がたくさんおられました。そして今でもそういう校風だと聞いていたので、その母校で3年間を過ごした学生がそれ程未熟な精神性しか持ちえていなかったと言う事は本当に残念です。「受験戦争」なんてまだまだ先の話で、高一程度の時期でそんな用語を持ち出すこと自体マスコミの固定観念的発想だなあと思います。

 父親はスパルタ教育をしていたというだけでマスコミの格好の餌食になっていて、本当に気の毒です。普通家を焼かれて妻子供を失って、犯人が息子だった、と言う精神的衝撃を考えればそっとしてあげるのが人情じゃあないんでしょうか。彼は加害者ですか?被害者でしょう?彼の教育についていま批評の嵐を浴びせる事が適切な報道行為なんでしょうか?
 田原本から伊賀上野までって、地元の人でしか実感できないと思いますが、結構な長距離通勤だと思います。それに泌尿器科部長という多忙な地位。しかも妻の福祉施設のこともある。仕事を全うするだけでも過労で倒れても不思議は無いくらいだと思います。
 その疲れた身体を引きずって家に帰ってきてなお、高一になった子供に教育できますか?付け加えるなら私の母校で高一の時期なら、速い科目ならもう高二のカリキュラムに入ってます。私なら多分英語以外無理です。
 いろいろと結果論で父のやってきたことを批評する意見も多いですが、父の立場で考えればこれだけ子供のために尽くしてこのような事件を起こされてはたまったもんじゃない、と言うのが正直なところなのではないでしょうか。少なくともマスコミがあれやこれやと後ろ指さすような事ではない、と申し上げたい。

 もちろん取り上げられている諸事情は今後の審判に際して情状酌量の材料にはしてあげてほしいし、少年には立ち直って欲しい、父にはまた平穏な日々が戻ってきて欲しい、と願います。しかし、その上で敢えてもう一度言わせていただければ、少年には取り返しのつかないことをしたのだと言う認識をはっきりと持っていただきたいと思います。そしてマスコミには必要以上の、そして興味本位の詮索をしないで欲しい、と願います。

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